居ないことに慣れる。

飼い猫のくっちゃんが亡くなって、数週間が経とうとしている。

一昨年から、身内のお葬式が続いてあったので、人はいつか亡くなることがよくわかってきた。

人が亡くなるということは、すごく悲しいが、命にはそれぞれ、いつか限りが来ることを学んだ。

老いるまで生きれない人もいる。

子どもの時に命をおとしてしまう人もいる。

死がいつ訪れるのかは誰にもわからない。

そんなこの世のことが、この歳になりようやく理解できるようになった気がする。

大人になるまで、身内にお葬式がなくて、なんて幸せに過ごしてこれたんだろう。

だからからか、飼い猫のくっちゃんが亡くなって、すごくすごく悲しかったが、理解するのは早かった。

火葬してお骨が家にあるからか、くっちゃんは家に居てくれて、家族のそばにいてくれると思っているからだろうが、悲しいけれど安心感がある。

最近は、居ないことに慣れてきたように思う。

姿が見えないということ

残されたもう1匹の猫、ナナも少しずつ元気になってきた。でも、ナナはまだ悲しみの中にいるのかもしれない。

居ないことに慣れる。

ことは、悲しい気もするけれど、死んでしまったことへの気持ちの切り替えができたということのような気がします。

できれば、くっちゃんにもう一度会いたい気持ちはずっとずっと変わらないけれど、、。

大好きな猫ちゃんだったな。

一緒に過ごせた日が、今では宝物のようです。

少しずつ、自分がおとなに、そして強くなっているような気がします。

でもきっと、そう思えるのは、近くでくっちゃんが守ってくれてるからなのかな!

相変わらず、優しい猫です。

イケネコ